不倫するやつがクズなのは「やられた側の気持ち」を考えないところにある!!

こんにちは! うしらく(@ushiraku)です!

ネットでもニュースでもよく賑わっている話題…それは「不倫」。

いつどの時代も、芸能人の「不倫問題」を目にしない日はありません。

芸能人はどうだっていいんですけど、わたしにとって不倫は憎さの象徴でしかないです。

それはなぜか。わたしの母が不倫したのがきっかけで家庭崩壊したから。

というわけで、今回はわたしの家庭崩壊エピソードを交えて「不倫」について触れていきます。

全て実話です。

わたしが8才(小学2年生)のときに母が不倫した

母が不倫をしたのは、わたしが小学2年生(8才)の頃でした。

しかも、不倫相手はクラスメイトT君の父親という、なんとも修羅場展開な関係性。

2人がどういうキッカケで出会ったのかは知りません。多分、PTAとかだとは思うんですが。

気がつくとわたしは、T君とT君の父親と一緒に遊ぶことが多くなっていました。

ちなみに、T君のお母さんはこの時点で亡くなっています。

なので、T君父はフリーの身で、わたしの母は家庭があるという感じでした。

その後、2人の関係性は急接近し、ベッドイン。やっちまいましたね、とうとう。

不倫がバレてからは家庭内が炎上し、父の「監視」がひどくなった

どれくらいの間不倫を隠せてたのかは知らないけど、結局バレました。

まぁ、分かるもんですね。こういうのは。

そんで父が激怒し、わたしはT君と遊べなくなりました。T君が家に来たら追い返す始末です。

母への監視も厳しくなり、帰りが遅くなるとドアのキーチェーンを閉めてました。この時、わたしがキーチェーンを外しに行ってたのを覚えてます。

父はとても嫉妬深く、コンプレックスもわりと多かったです。

正直、子供の頃のわたしが見ても「ダメな大人」だなと思ってました。お金づかいとか酒癖とか。

夫婦ゲンカの火種はいつも「不倫」だった

母が不倫をして以降、夫婦喧嘩が激化しました。

喧嘩の回数が増えただけではなく、質も悪くなっていく顛末。

なにか些細なことで喧嘩を始めても、最終的には「不倫の話」に戻っちゃうんですよね。無限ループのように。

喧嘩がひどいときには近所の人に助けを求めに行きましたね。

両親の取っ組み合いは、当時8才のわたしには止められなかったので。

喧嘩の火種が「不倫」って、本当に醜いですよー。男と女の本性がむき出しになりますから。

不倫の問題以降、我が家は「家庭内別居」した

不倫問題があってから、我が家は「家庭内別居」するようになりました。

もともと住んでいたアパートが2室借りてたので、

  1. 101号室にはわたしと父が住み
  2. 102号室に母と弟が住む

っていう図式です。

世にも奇妙な家族のあり方…。

あと、家庭内別居と同時につらかったのは家族4人で出かけることがなくなったことです。

正月とか盆も含めて、家族でお出かけってのが無くなった。これは精神的にかなり参りましたね。

20才になって、ついに離婚。ようやく不倫問題の火種が消えた

わたしが20才になった頃、うしらく家は離婚しました。

といっても、夜逃げのようにして父1人を家に置いて出て行ったんですけど。食卓の上に離婚届を添えて。

まぁ、両親が長い間離婚できなかったのは、わたしと弟をちゃんと育てるためだったからだと思います。

子ども2人が高校を卒業するまでは我慢した」とも直接聞きましたし。

あと、当時(今から20年前)は離婚してる家庭ってのもあまり見なかったし、相談できる人も少なかったでしょう。

まぁ、なんだかんだで、わたしが8才の頃に起こった「不倫問題」の炎は、その後12年間続いたという話です

長かったなぁ…。

うしらくまとめ

小学2年生のときの記憶は、30才になった今でも鮮明に覚えています。もちろん、嫌な思い出として。

「不倫問題」で喧嘩するときの両親の顔つきや声、閑散とした部屋の空気。SOSのため近所のおばちゃんを呼びに行ったこと。全て覚えてます。

この記事のタイトルにある「不倫をやられた側の気持ち」とは、不倫問題の巻き添えをくった子ども気持ちのことです。

一時の気の迷いや人恋しさから、不倫をするのかもしれません。

でも、その後のことや子どもについて、真剣に考えてみてほしい。

今目の前にある無垢な笑顔も、家族みんなで出かける楽しさも、全てが灰になって消えてもいいかどうか。

そして、軽い気持ちで始めた火遊びは、想像を超えて炎上し、家族全てが燃え尽きてしまうということを

ABOUTこの記事をかいた人

「うつ予防」の悩み相談屋。25歳で躁うつを発症し、自殺未遂→日本のうつ・自殺問題について海外テレビから取材→リハビリ生活を経て社会復帰→年間100件以上の人生相談にのりながら、「うつにならない社会」を作るために情報発信をしています。