「コネのための人付き合い」ほど下らないものはない

ども。うしらく(@ushiraku)です。ぼっちでも好きに生きてます!

今朝目にしたニュース記事に、ぼくはイラッとしました。

それはこちらの記事
付き合いが少ないとは、貧しいことだ。あるいは弱いことだ。
です。

人付き合いが少ない人を「貧しい」もしくは「弱い」と決めつけてる内容を引用しつつ、ぼくの反論を書いていきます。

人付き合いが少ないのは、貧しくて弱いことなのか?

付き合いが少ないことを「貧しい」と言うと、憤慨する人がいるかもしれない。ならば、「弱い」と言ったらどうか。これも、憤慨する人がいるかもしれない。
だが言い方がどうであれ、現代社会において付き合いが少ないこと、ましてや孤独に近い状態であることは、社会的生物として得ることが少なく、身体や精神の危機への備えが脆弱であることは確かだ。
だから、付き合いが少ないという状態を経済的な尺度で言えば「貧しい」ということになるし、生物の生存という尺度でみれば「弱い」ということになる。健康という評価尺度を持ち出すなら「不健康」ということになるだろう。

ぼくはまず、この記事の冒頭にある「弱さの定義付け」にイラッとしました。だって、人付き合いが少ない=弱いって方程式おかしいじゃないですか。「ああん?」ってなりますよ。

ぼくはそもそも、人付き合いが多い人(例えばリア充)が幸せとは思ってません。なぜなら、その人付き合いをキープするのにエネルギーがいるから。集まりに参加するにはお金も体力も必要だし、何より時間を奪われる。

ぼくには、そんなの耐えられません。精神的に拷問を受けてる気分になってしまいます。

表面上の「コネクション」なんてクソ食らえだ

健康以外にも、人付きあいはたくさんのものを提供してくれる。コネクションがあること・顔が利くことはビジネスでも趣味生活でもプラスの影響をもたらす。多種多様なものの考え方に触れること・知的な刺激を与えられることも、付き合いがもたらすプラスの面だ。
こうしたプラス面のいくらかはインターネットによって代替できるようになったが、実際に人に会って話をしなければ得られない刺激はまだまだある。なにより、コネクションを作り上げるほどの“信頼”や“信用”を得るには、やはり付き合いが欠かせない。

ここでは、人付き合いによるコネクションがプラスの影響をもたらすと書かれています。

いやいや、ネットでのオンラインの繋がりだって立派な人付き合いでしょ。何でリアルでの繋がりだけを良きものとして扱ってんのか理解できない。

ていうかさ、多種多様なものの考え方に触れる・知的な刺激を受けるのは読書でも事足りるからな?

ぼくはオンラインでの付き合いのほうが、たくさんの刺激を貰えてる

ぼくはブログ活動をしているおかげで、様々な人とのご縁を得ました。

ブロガー仲間しかり、絵描きさんや小説家、プログラマーの方など。多種多様のジャンルで活動してる人たちばかり。

でも、これって、ぼくにとってはリアル世界では得られない大切な繋がりなんですよ。

だって、ぼくは人見知りでまともに話せないから。オンラインだからこそ、素の自分を出せてるわけで。

オンラインとかリアルとか、そんなの関係ない。要は、その人にとって合ってる繋がりが大切です。形にとらわれる必要なんてないっすよ。

家族がいるからといって幸せとは限らない

不摂生があっても誰もたしなめてくれず、悩みやストレスを愚痴ったりシェアしたりする相手がおらず、健康が害される段階に至っても誰も病院に連れていってくれない状態では、人は意外と簡単に死んでしまう。ワーカホリックな人も、繁華街を遊び歩いている人も、自宅にひきこもってインターネット漬けになっている人も、いずれもそうだ。

家族がいれば、ここに挙げられている「不摂生」や「病院に連れて行ってもらえない」に陥ることはないでしょう。悩みを一人で抱えることもないし。

でも、じゃあ家族がいる人の全てが幸せかというと、そうではありません。

毒親やパラサイト、DVなど家庭という檻があるせいで苦しんでる人もいる。ぼくの家はパラサイト(母から依存されていた)気質だったので、一緒にいるのが苦痛で仕方なかったです。

表面上は孤独に見えなくても、家族がいることが逆にしんどいこともあります。精神衛生上ね。

誰しもがコミュニケーション上手なわけではない

世の中の全ての人が、コミュニケーション上手なわけではありません。ぼくのようにコミュ障の人も、一定数います。

そんな人達に無理矢理「人付き合い」をさせるのは、ほぼ拷問に近いです。特に、本人が望んでいないのなら尚のこと。

学校生活に置き換えると、誰しも得手不得手があることが分かる

学校のクラスを例にすると、誰しも得手不得手があることが分かります。

社交的で誰とでも友だちになれる子もいれば、一人で本を読んで静かに過ごす子もいる。部活が好きな子もいれば、そうでない子もいる。

そんな中で「みんな仲良くしろ」と言っても不可能です。子どもたちそれぞれで合う合わないがあるので、自然とグループごとに分かれます。みんながみんな仲良くしてるクラスなんて見たことないですよ。

友だちがいない子に対し「お前は弱いやつだ」と言えますか?

ぼっちは不便ではあるが「不幸」ではない

ぼくはぼっちで過ごしてはいるけど、不幸ではありません。自分の好きなことや趣味に打ち込めて、結果として気の合う仲間と繋がれているので。

確かに寂しさを感じることはあるけど、だからといって不幸ではないですよ。というか、そもそも孤独を不幸に結びつけるのはやめてほしいなぁ。

好きなことに打ち込めば、自然と気の合う人と出会える

ぼっちから抜け出したくてムリに人付き合いをしなくても、あなたが好きなことを続けていれば、自然と気の合う人と出会えます。

時間はかかるかもしれないけど、これは確実なこと。ぼっちでも好きに生きてるぼくが保証します

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まとめ「慣れない人付き合いをするためにヘコヘコ生きるほうが消耗する」

「驕れる者も久しからず」。しがらみが少なく自由な社会は基本的には良いものだが、付き合いが少ないことが貧しさや弱さに直結する社会を、私は、無邪気に寿ぐことはできない。

最後にもう一度強調しておきますが、付き合いが少ないことは貧しさや弱さに直結しません

ぼくはリアルでは友だち少ないし、人付き合いも苦手。でも、ブログを通して、全国にいる”気の合う素敵な人たち”と繋がれているし、その人達の前では素の自分で過ごせています

孤独から抜け出すために慣れない人付き合いをするのか、それとも少数でも気の合う仲間たちと楽しく過ごすのか。

ぼくは、人付き合いは数ではなく「質」だと思ってます。

本当に大切な人との関係性だけを大切にしていく。これは、今後も変わりません。

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母の不倫がきっかけで家庭崩壊 → 過労により躁うつ病になる → その躁うつ病のせいで恋人にふられ、自殺未遂。つらい人生をのりこえてきたぼくだからこそ、今しんどいあなたに伝えたいことがある。ズバッと本音で答える「お悩み相談」もやってるよ!