「何でもやります」は何も出来ないと言ってるのとおんなじだ!

こんにちは! 野望系ブロガーうしらく(@ushiraku)です!

現在わたしが立ち上げているクラウドファンディングのプロジェクト「[うしらく]の人生で遊びませんか?リアル人生ゲームはじめました。」は、開始早々たくさんの方たちからご支援を受けております。

直接メッセージをいただけることもあり、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

ただ、当初わたしが掲げた「うしらくの人生で遊んでください」という部分が、自分で見返してみてまだまだコンセプトとして明確じゃないなと思うようになりました。

なぜそう思うようになったのかについて、自分の気持ちに素直になって書いていきたいと思います。

「何でもやります」がそもそもダメなのでは!?

企画を考え始めた当初、わたしの中でのイメージは、ボードゲームの「人生ゲーム」をリアルでやりたいというものでした。ルーレットを使って遊ぶ、あの「人生ゲーム」をロールモデルとして考えていたんですよね。

人生ゲーム
(出典:amazon

なので、人生ゲームを見習って「何でもやります」と公言していたのですが、そもそもの間違いに気付きました。

それは「ルールがない」ということ。

ボードゲーム版の「人生ゲーム」にはルーレットとマップに書かれているお題があるからこそ面白いのであって、今わたしがやろうとしているプロジェクトにはこのルールがありません。

つまり、「何でもやります」と公言していることにより、企画ページを見に来てくれた人に「何がしたいのか」が伝わってないのではないかと思うようになりました。

実生活で困る「何でもいい」

こうやって自分の企画を見直してみて、実生活に置き換えてみると「何でもいい」という言葉が1番困るじゃないかと気づきました。

例えば食事のワンシーン。友人と外食に行ったとして「何が食べたい?」→「何でもいい」のやりとりが1番困りますよね。どうしたいのか、何が食べたいのかが分からない限り、店の選びようがありません。

また、選挙にも置き換えて考えてみました。政治家が「若さと情熱で頑張ります!」とか「知恵と経験で頑張ります!」と演説しているときって、結局「何を頑張るのか」が分かりません。よって、投票したいと思えなくなります。

この「何でもいい」や「何でも頑張ります」が、今の自分の企画にドンピシャで当てはまっており、面白さや共感性に欠ける大きな要因になっているのではないかと気づきました。

「ビジョン」をもっと分かりやすくします!

プロジェクトを開始してちょうど一週間。

この間にたくさんの改善点が見つかりました。自分の詰めが甘かったことを痛感しています。

ただ、自分で自分を褒めてあげたいところがあります。それは「ちゃんと声をあげて、旗を掲げて良かった!」というところ。

プロジェクトを始める前はどうしても逃げ腰になって、ビビっていました。個人の人生をクラウドファンディングにかけることがネットで叩かれるのではないか、反感を買うのではないかとずっと考えていました。

でも、こうして実際に行動に移したことによって「自分の伝えたいことを伝えるにはどうしたらいいか」を身をもって知ることができ、たくさんの気づきをいただきました。