ネガティブな自分を恥じず、ぼくは本音で生きていく


ども。うしらく(@ushiraku)です。ぼっちでも、毎日を本音で生きてます。

ぼくはブログを始めた当初、ネガティブな自分を恥じていました。

  • 記事を書く時は、誰かの役に立つことを書かないといけない
  • 読者がクスリと笑う文章に仕上げないといけない

という「~ねばならない」思想にも囚われていた

でも、最近思うんです。「ネガティブって、そんなにいけないことか?」と。誰しもが、小手先だけのくだらないギャグを記事内に仕込まなければいけないのかと。

それって結局は、読者に嫌われたくないというだけなんじゃないですかね。

本音で生きてると言えるんでしょうか?

書店もブログも「ポジティブろうぜ感」がハンパなくてキモい

つい最近、本屋に買い物に行ったときのこと。ふら~っと店内を歩いてたんですけどね。ふとした光景を目の当たりにし、どん引きしてしまいました。

それは、「ポジティブシンキング」系の本がたくさん並べられていたこと。

プラス思考、ポジティブ思考、人生楽しく生きようぜ的な本。そんなのばっかり。うんざりしました。

ブログ界でも似たようなことが言えて。「読者の役に立つ系の記事を書こうな」とか「クスリと笑えるギャグ・ネタ記事を書くといいよ」的な教えや考えが出回っていて、とても気持ち悪いです。

世の中の人たちが、そんなに笑いに飢えているのか?

クソみたいな小手先だけのギャグを欲しているのか?

とても疑問に思います。

ポジティブポジティブ連呼してるのは、ただ単に目の前のつらい現実から目をそらしているだけ

ポジティブ思考をプッシュしている人は、ただ単につらい現実から目をそらしているだけじゃないでしょうか。つらいときこそ酒のんで笑おうぜ的な。

でも、本当につらいときって笑えないからね?

酒のんだって、酔いが冷めたらまた絶望が目の前にあるだけだよ?

そんならもう目の前のつらいことを、ネガティブな今を恥じずに発信したらどうですかね。無理にポジティブ思考になろうとするよりは、余程楽だし、自然なことだと思いますよ。

ぼくのブログのアクセス数の半分は、ネガティブな記事が支えている

ぼくのブログのアクセスの半分は、ネガティブ系の記事が占めています。具体的にいうと、自殺系の記事なんですが。

関連記事:[自殺レポ]崖から飛び降りて自殺未遂。その末路をガチで書いてみる

この記事を書く当初、実はかなり悩んだんです。

自殺というタブーに触れてもいいのか。自殺について書いたら読者が離れていくんじゃないか。自殺ってネガティブ過ぎないか…めっちゃ悩みました

でも、ぼくは自分のやったことを出来るだけ素直に書き連ねました。

そしたら、少しずつアクセス数が増えていって、今では当ブログの根幹を支える記事になった。この記事が誰かの命を救っているのかどうかは分からないけど、あの時勇気を出して書いてよかったなと思ってます。

うしらく的まとめ

ネガティブや不安的思考は、一見すると暗くて煙たがられるイメージがあります。そして、出来ればそんな自分を表に出さずに、人から嫌わたくない。

でも、もともとネガティブ思考なひとが無理にポジティブになろうとすると、めっちゃしんどいと思うんですよね。

「ポジティブ思考になれない自分はダメ人間なんじゃないか…生きてる価値がないんじゃないか」と、自分で自分を責め立ててしまいやすい。

そんな生きにくい人生と、嫌われるかもしれないけど本音で生きる人生と、どちらがいいでしょうか?

ぼくは今になって、やっと後者を選べるようになりました。ネガティブでぼっちな自分でいいやって。これからは本音で生きてやるって。そう思えるようになった。

ネガティブな自分を恥じずに本音で生きると、心が楽になりますよ。

あるがままに。