はじめまして。うつ予防の悩み相談屋「うしらく」です!
ぼくは現在、ブログやYouTubeを使って、「うつにならないためのコツ」について情報発信し、活動しています。
また、LINE@では、年間100件くらいの悩み相談にものっています。
ぼくは、1985年生まれの33歳。昭和世代の人間です。
20代前半までは、かなりアグレッシブに行動し、常に人に囲まれた生活をしていました。
俗にいう、リア充属性の人間でした(笑)。
しかし、26歳のときに過労が原因で双極性障害を患い、それから約8年間ずっと闘病生活を送っています。
まぁ、とはいえ現在は病状は回復しており、社会復帰して働いています。
ここでは、ぼくの生い立ちや今までの活動を振り返りながら、
- ブラックNPO法人の実態
- 双極性障害を発症した経緯
- 絶望から得た教訓
について、お話させていただきます。
ブラックNPO法人でうつになった
2010年、地元にある福祉系NPO法人に、正社員として入社しました。
仕事内容は、生活に困っている人の支援・相談業務。
- 住むところがない人
- お金がなくて困ってる人
- 家族にも頼れる人がいない人
これらに当てはまる人が、自立するために必要なサポートをする仕事。
当事者の命にダイレクトに関わる仕事だったので、体力的にも心理的にも大変でした。
でも、当事者の方から「ありがとう」って言葉をかけてもらえると、とても嬉しかったし、仕事にやりがいを感じていました。
当時関わった方の中で一番印象深いのは、車中泊で「餓死」寸前だったおじいちゃんの支援にあたったこと。
ぼくが駆けつけた時には病院の集中治療室に運び込まれており、骨と皮しかないガリガリにやせ細っていました。
その後、そのおじいちゃんの支援をする中で、少しずつ日常生活が送れるようになり、半年後には健康的な体になって自立をされました。
ぼくという人間が、誰かの生活に役立ってると思うと、とても嬉しかったです。
しかし、そんなやりがいのある仕事だったけれど、2つの問題点がありました。
1.労働時間が長く、それに見合った残業代が支払われない
1つ目は、労働時間がブラック企業並に長い点。
基本は9時~17時までの8時間が勤務時間なのだけど、定時で帰れることはほとんどありませんでした。
なので、ほぼ毎日1~2時間残業していました。
加えて、当事者の緊急対応や会議などがあるため、一日12時間くらい働くこともありました。
そのため、睡眠リズムが乱れがちになり、不眠症になっていきました。
残業代は毎月1万円までしか払われなかった
また、残業代もまともに支払われませんでした。
残業代は、毎月「一律」1万円まで。
なので、月に60時間残業しても、100時間以上残業しても、翌月に支払われる残業代は1万円だったのです。
このような残業代の計算方法は、労働基準法に違反しています。
(労働基準法37条1項)
使用者が、第33条又は前条第1項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
引用元(「クエストリーガルラボ」)
2.上司からのパワハラでバスに乗れなくなった
2つ目の問題点は、ヒステリック気味の上司からパワハラを受けていた件。
ぼくは、入社当初から直属の上司Sさんが苦手でした。
理由としては、Sさんは気分にムラがあり、機嫌が悪いときには、周りの人に八つ当たりするタイプの性格だったからです。
Sさんのことで一番記憶に残っているのは、ある日のこと。突然、
とニコニコしながら、ぼくに近づいてきたことがありました。
それまでの会話から何の脈絡もなく、ぼくが仕事をミスしたわけでもありませんでした。
なので、なぜそのような発言をしたのか、全く理解できなかったのです。
と、心の中にドス黒いモヤモヤが溜まっていきました。
医師から双極性障害との診断を受けた
不規則な労働時間と情緒不安定な上司へのストレスが積み重なり、ぼくの体に異変が起こり始めていきました。
- 胃潰瘍(常に胃がキリキリ痛む)
- 味覚障害(ごはんの味がしない)
- 頭痛(バスに乗ると痛みが増す)
などの症状が、毎日起こるようになっていったのです。
また、出社しても職場のイスに座っただけで、悲しい気持ち・胸が苦しくなることが多くなりました。
そして、2011年4月。職場の近くにあった心療内科を受診したところ「双極性障害」と診断されました。
入社2年目の、春のことでした。
双極性障害とは、気分の波の浮き沈みが激しい病気です。
めっちゃやる気があるとき(躁状態)と、この世から消えたくなるとき(うつ状態)が交互に襲ってきます。
躁うつ治療のため、仕事を休職
双極性障害と診断されて以降は、3ヶ月間の休職をしました。
この間ずっと自宅療養してたのだけど、何をして過ごせばいいのかが全く分かりませんでした。
まさか自分が精神疾患になるとは思ってなかったし、双極性障害について調べてもほとんど情報がなかったのです。
また、毎日24時間ずーっと「謎のそわそわ感」に襲われ、常に何かをしていないと不安でした。
でも、うつ状態のため何かをする気力も起きず、ただ布団の中でじっと耐える日々が続きました。
当時の日記には、こう書かれています。
○○病院の精神科へ受診
薬の量を調整してもらう。鬱々とした毎日を報告。
僕「先生、日中することが無くて虚しいんですが、何か日中を過ごすコツなどありませんか?」
先生「ひたすらボ~っと過ごすことです。」
先生よ…。それが出来れば何の苦労もしねぇYO。
さて、今から何しようか…。
散歩に出るか、ビデオを見るか、漫画を読むか…。
なかなか、何も手のつかない状態が続いているので、何かをすることも辛い毎日です。
とりあえず、ボ~っとしてみるか…。
でも、何時間も何日もボ~っとするのはかなりの難行だと思うのだが(汗)
あ~、叫びたい。
2011年10月06日
3ヶ月間の休職後、本来なら元の職場に復職する予定でした。
けど、双極性障害の病状が良くなかったため、医師の判断により退職することになりました。
躁うつの病状が悪化したため退職
退職してゆっくり病気を治そうと思い直したけど、当時は家庭環境が荒れていて、心休まるときが片時もありませんでした。
- 自己破産をしてもなお借金癖のある母親
- 発達障害で引きこもり歴3年の弟
この両者が毎日のように言い争っていたため、ぼくが仲介役としてなだめることが多かったのです。
そして、2012年9月29日。ぼくは弟から暴行を受けたため、なけなしの貯金を手に家を出ました。
双極性障害が治らぬまま、一人暮らしを始めた
26歳の秋。ぼくは生まれて始めて、一人暮らしをしました。
双極性障害を患いながらの一人暮らしは大変だったけど、
という思いがあったため、強制的に自立ができました。嬉しい誤算。
この頃は、傷病手当金・失業給付金を利用し、計3年間働かずに療養に専念できました。
そして、病状が落ち着いてきてから少しずつ外出できるようになったので、職業訓練校を受講し、2014年5月から書店で働くことに。
また、彼女もでき、プライベートも充実していきました。
長い長い「うつトンネル」をぬけた……はずでした。
双極性障害について恋人にカミングアウトするも失敗
2016年7月。彼女と付き合って1年が経つ頃、ぼくは双極性障害であることをカミングアウトしました。
実は、彼女には、自分の障害を隠して付き合っていたのです。
しかし、ぼくのカミングアウトは結果的に失敗し、彼女にフラれました。
その事実を受け止めきれなかったぼくは、2016年7月16日に、地元の海岸にある崖から飛び降り自殺を図ることに。
全身大怪我をし、そこから半年間の入院生活を送ることになりました。
半年間の入院生活
右手右足の損傷が激しかったため、車いすで生活をしていました。
箸もペンも握れず、トイレでお尻を拭くことも難しかったです。
入院当初は、
と、すべてを恨んでいました。
でも、入院生活中に色んな患者さんと話すにつれ、自分の考え方が変わっていきました。
その中でも、ある一人のおばあちゃんとの出会いが、自分を変えてくれたように思います。
おばあちゃんとの出会い
そのおばあちゃんは、糖尿病のため片足切断の手術をし、車いす生活をしていました。
年齢は70歳くらい。しゃがれた、ハスキーな声が印象的。
おばあちゃんは、片足がなくてぼくよりも不便な生活をしているのにも関わらず、常に明るくて元気でした。
コミュ障なぼくにも気さくに話しかけてくれたので、ぼくも警戒心なく会話できたように思います。
そして、このおばあちゃんとの触れ合いの中で、
と思うようになっていきました。
自分の失敗から得た教訓が、誰かの役に立つと確信した
また、この頃から、ブログの感想や悩み相談メールなどが、送られてくるようになりました。
ぼくの、カミングアウト失敗の記事や、自殺未遂の記事などを読んでくれた読者さんから、
との声をもらえて、ぼくも感謝しました。
そして、ぼくの過去の失敗から得た教訓や気付きが、他人の悩み解決に役立てられるかもしれないと思うようになりました。
退院後はリハビリをしながら、A・B型作業所に通い、その後一般就労をすることに。
長く険しい道のりだったけど、色んな人に助けてもらいながら、社会復帰できたと思っています。
うつ予防の悩み相談屋として「うつにならない社会」を作りたい
双極性障害を患って、約8年が経ちます。
発症した当時のぼくに、伝えたいことがあります。
それは、
というメッセージ。
当時のぼくは、「うつ=甘え」だと思っていました。
なので、パワハラ上司との関係性で悩んでいたときも、友人や知人に相談できず、より苦しくなっていったのです。
そして、苦しみのすべてを一人で抱え込んで、心も体もボロボロになってしまい、双極性障害を発症したんだと思います。
もしあの時、一人で抱え込まずに相談していたら、病気にならずに済んだのかもしれません。
しかし、今さら悔やんだところで過去は変わらないし、病気が治るわけでもない。
ならば、自分の経験をもとに「うつにならないためのコツ」を発信し、今悩みを抱えている人たちの不安を軽減させたいです。
また、「うつ予防の悩み相談屋」として、パワハラやブラック企業で心を消耗してる人の受け皿になりたいとも思っています。
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