原動力は「何のために?」

20歳くらいの頃、ぼくは自己啓発にハマりまくっていた。

当時、高卒で工場で働いていた。

給料は良く、先輩にも可愛がってもらっていた。

ただ、毎日が単調で、このまま40年近くこの職場で働かないといけないのかと思うと、なんだか残念だなと感じていた。

せっかく頑張って就職したものの、ぼくがやってる仕事は「機械を相手にした仕事」だったからだ。

ぼくは、機械のために24時間365日を捧げているのだろうか、と。

また、家庭環境も劣悪だった。

父と弟との喧嘩が激化しており、弟は寝る時に枕元に金属バットを置いていた。

いつ怪我人が出てもおかしくない状態だった。

ので、母とぼくと弟とで、半ば夜逃げのような形で家を後にした。

ちょうどその時、仕事も家庭も嫌になったタイミングで、自己啓発にハマったのだと思う。

「こんな劣悪な環境から抜け出すには、もっと自分が頑張らないと」

という風に思っていたのかもしれない。

もしくは、ただ単に目の前の仕事が嫌になっただけなのかもしれない。

そんな折、知人からとある講演会に誘われた。

中村文昭さんという方の講演会だった。

彼の講演で一番感銘を受けたのは、原動力は「何のために?」を大切にしろという内容だ。

人間の動機は、大きく二つに分かれる。

一つ目は、織田信長のように「天下取り」を目指す、『野望達成型』。

もう一つは、豊臣秀吉のように他人からの頼まれごとをこなす『依頼達成型』。

どちらが良い悪いというのは無いけど、織田信長のような『野望達成型』は、難易度としてかなり難しい。

一方の豊臣秀吉的な『依頼達成型』は、少しハードルが下がる。

なぜならば、やることが「他人から」舞い込んでくるからだ。

その頼まれ事を、相手が期待していた以上のクオリティで返すと、相手は喜ぶ。

そして、またリピートしてくれる。

その先に、口コミで広がっていく。

点と点が線になり、面へと発展していく。

そういった生き方がしたいと、当時のぼくは思った。

それから16年くらい経った現在。

事業所での頼まれごとや、友人の誕生日プレゼントなども、相手の期待を良い意味で裏切るようにしている。

そうすることで、相手が喜んでくれて、また次の頼まれごとが舞い込んでくる。

自分が必要とされている感じを強く感じられて、とても嬉しく思っている。

何のために?というのは、つまるところ「相手に喜んでほしいから」というものだと、ぼくは思っている。

目の前の頼まれ事に全力を尽くすことが、未来のぼくに繋がっているはずだ。

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「うつ予防」の悩み相談屋。25歳で躁うつを発症し、自殺未遂→日本のうつ・自殺問題について海外テレビから取材→リハビリ生活を経て社会復帰→年間100件以上の人生相談にのりながら、「うつにならない社会」を作るために情報発信をしています。