11年ぶりに父親に会ってきた

こんにちは、うしらくです。

就職をして約一ヶ月半が経ちます。

この間、一時期体調を崩したこともありましたが、仕事を欠勤することはなく、無理のないペースで働けています。

自分にとって就職とは、障害を患って移行、一つの大きなイベントでした。

就労移行支援の事業所に通い始めて、利用期限である2年間を少しオーバーして、どうにかこうにかして今の会社に就職できました。

この2年間で、就活を始めてから10社以上も落ちましたし。

こんなに就職できないものかとは、思ってもいませんでした。

まぁ、なんやかんやで、就職とは「運・縁・タイミング」なのだなと実感しましたね。

今の会社は病状の配慮も得やすく、かなり自由度が高い会社だと思っています。

ので、結果的に、今の会社が自分にとって一番合っているのだと思います。

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さて、本題に入ります。

ぼくはこれまで、11年近く、家族と距離をと遠ざけてきました。

家族と色々とトラブルがあり、自分のメンタルを安定させるために、一人家を出たような形で、一人暮らしを始めました。2012年秋のことです。

家を出るまでは、母と弟と3人で暮らしていました。

ぼくが20歳くらいの頃に両親が離婚したため、母・ぼく・弟の3人で生活していたという感じです。

父とはその後疎遠になっていたのですが、年に何回かは会ったりはしていました。

しかし、母・弟・ぼくとの三者間で色々と上手くいかないことが重なり、ぼくがそれに耐えかねて、2012年の秋に家を出たんですよね。

その時以降、家族の誰とも連絡を取らず、この11年間を過ごしてきました。

なのですが、入社に際し「緊急連絡先」を「家族・血縁者」で設定するよう、会社から言われました。

当初は、支援機関を緊急連絡先として設定していたのですが、どうしても「血縁者」じゃないといけない、と。

正直なところ、こういう話を会社から持ちかけられたとき、凄く戸惑ったんですよね。

かれこれもう11年も連絡をとっていなかった家族に、連絡を取らないといけないわけですから。

しかし、入社に際してどうしても必要なことなので、やむを得ず、ぼくは父親に連絡を取ることにしました。

自分のメンタル的に、母・弟と交流を戻すのは難しいと判断したため、父親を選びました。

凄く緊張したんですが、電話してみると、11年ぶりなのに割と普通に話せました。

そして、つい先日。

11年ぶりに父親に会ってきました。

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コンビニで待ち合わせをし、その後ファミレスへ。

互いの近況などを話し、父親からも「久しぶりに会えて良かった」と言ってもらえました。

ぼくも久しぶりに会えて良かったと、純粋に思いました。

あと、崖からの飛び降りで後遺症があることも伝えました。

これまで、YouTubeの配信などでリスナーさんと家族と会うべきかどうかなどを話したことがあります。

当時、確かコロナ禍になったくらいのことだったかと思います。2020年くらいかな?

その時はまだ「家族に会いたくない」と言っていたのですが、今になってようやく「会えて良かった」と思えるようになりました。

父も昨年コロナで寝込んだことがあったらしいため、コロナで亡くなっていなくて良かったと思いました。

ぼくは運よく、コロナには罹っていないので、コロナ禍のニュースとかって実感なかったんですよね。

まぁ、コロナの話はさておき。

ファミレスを出てからは、生まれ故郷を一緒にドライブしました。

ぼくは足が悪く、運転免許も破棄したため、父の車に乗せてもらいました。

ドライブで行った場所は、ぼくが中3くらいまで住んでいた家の近く。

もうその場所は住宅地になっているので、かつて住んでいたアパートは跡形もないんですけどね。

それから、近くの海に行ってみたり。

幼少期に育った場所で父と話していると、あの頃の「楽しかった記憶」がたくさん蘇ってきました。

子供の頃は、ぼくは父が大嫌いでした。

酒飲みだし、ヘビースモーカーだし、すぐキレるし、母とよく喧嘩するし、お金にケチだし。いいとこなしだと思っていました。

高校生以降も、父と取っ組み合いの喧嘩をすることもあったくらい、嫌いでした。

しかしながら、あの日の嫌だった記憶は、何十年も経つと、段々薄れていくものですね。

代わりに、楽しかった記憶、懐かしかった思い出などが脳裏に浮かび、自分も年をとったのだなと感じました(今37歳)。

ドライブ後も何だかんだで世間話をし、また後日会う約束もしました。

会う前までは緊張していたけど、結果的に「会えて良かった」と思っています。

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日本社会特有なものなのかは知らないけど、社会人になってからも「緊急連絡先として血縁を」求められることが多いです。

会社への入社、病院への入院、就労支援事業所への入所、グループホームへの入居、その他色々と。

ので、どれだけ家族と距離を取っていたとしても、絶縁していたとしても、結局は家族という仕組みからは逃れられないのだと、この11年を振り返って実感しています。

これが喜ばしい祝いなのか、それとも呪いなのかは分かりません。

家庭環境が良好な家柄だと、こういう悩みを抱えることはないのかもしれませんが。

少なくとも、家庭で色々とトラブルを抱えている自分にとっては、厄介なものだと思っていました。

しかし、時が経ち、自分の置かれている環境もガラリと変わると、価値観も大きく変わるものです。

不思議なくらいに。

この11年間、自分はずっと家族を恨み、怒っていました。

でも、それは自分で自分に呪いをかけ続けていただけなのかもしれません。

とはいえ、父との再会は「今」がドンピシャのタイミングだったと思います。

今より早くても、今より遅くても、上手くいかなかったと思います。

ので、結果的に、会社の緊急連絡先システムが良い方向に作用したのかもしれませんね。多分。

今はまだ気持ちの整理がつかないから難しいけど、ゆくゆくは母と弟にも会えたらいいなと、心の片隅で思っている自分がいます。

人の心は、こうも変わるものなのですね。

ABOUTこの記事をかいた人

「うつ予防」の悩み相談屋。25歳で躁うつを発症し、自殺未遂→日本のうつ・自殺問題について海外テレビから取材→リハビリ生活を経て社会復帰→年間100件以上の人生相談にのりながら、「うつにならない社会」を作るために情報発信をしています。