「やりたいことをやって生きよう」
「自分が好きなように生きよう」
「自分らしく生きよう」
ぼくはこのように言われると、すごく戸惑う。
なぜならば、自分の中に「確固たる自分」というものがないからだ。
ぼくは一見、積極的な正確に見える。
例えば、過去にヒッチハイクをした経験があったりとか。
ホームレス支援の仕事をしたりとか。
ブログやYouTubeで情報発信したりとか。
他にも、色んな活動をやってきた。
でも、これは自分の意志でやったように見えるけど、結構受け身だったりする。
ヒッチハイクをやった当時は、須藤元気さんの『幸福論』という本に刺激されていた(本にはヒッチハイクの記述はないけど)。
ホームレス支援の仕事は、その団体の理事長に憧れて入社した。
ブログやYouTubeは、当初は自分が好きな本を紹介してたけど、気がついたら「他者が求めている情報」を探し、提供するようになっていた。
まぁ、何も行動せずにじっとしているよりは、何かアクションに移す方がいい。
でも、「なんでそれをしたの?」と聞かれたとき、ポンと理由が浮かんでこないので、返答に困る。
「もっと自分らしく生きればいいのに」
「もっと楽に生きたらいいのに」
「もっと自由に生きればいいのに」
と言われても、「自分」がないので「自分らしく」が分からない。
楽して生きていいと言われても、実際に楽して生きてたら「もっと頑張れよ」と言われそうな気がする。
自由に生きる件についても、生活できるだけのお金がなければ、食べるものや住む物件も選べる範囲が、極端に不自由になる。
なので、「自分がないのが自分」だと割り切れば、もう少し生きやすくなるのかなと思い始めた。
やりたいことをやるのではなく、他者が困っていることや、他者からの依頼を全力でこなす。
そうすると、またリピートしてくれる人から依頼がきて、さらにやることが増える。
リピートが口コミで広がれば、少しずつ活動範囲が広がっていく。
ふと思い返してみると、質問箱がまさにその例な気がする。
2022年5月25日の時点で、質問箱は800件を突破した。
ぼくは他者からの相談に答えることが、苦ではない。
スキマ時間にポチポチ返信できるから、無理なく自分のペースで進められる。
悩み相談が「自分のやりたいこと」ではない。
でも、他者から求められてるから相談にのり続けたら、気づいたら800件突破してた感じだ。
やりたいことがなくていい。
自分らしくなくていい。
無理して楽しようと思わなくていい。
自分がないこともまた、自分なのだ。