アニメソムリエうしらく(@ushiraku)です。どもー!
双極性障害を患っているぼくは、アニメを見ることで日頃のストレスなどを発散してます。
さて、そんなぼくが先日、アニメ映画『君の名は。』を見ました。今更だけど。
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— 映画『君の名は。』 (@kiminona_movie) August 10, 2016
実は、『君の名は。』が劇場公開されてたあの時期は、ぼくは入院してたんです。
なので、リアルタイムでは見られなかった。
そこで、随分間が空いたけど、ようやく『君の名は。』を見ることが出来ました。
と、話題の感動作である『君の名は。』を見てぼくが思ったのは、
というものでした。
作品自体はとても面白く、ストーリーにも引き込まれた。
なのに、なぜだかどうしようもない違和感を感じるんですよね。
みなさんは、どうだったんだろう?
何も違和感など感じなかったのかな?
話題の感動作に違和感を感じるぼくの方が、狂ってるのか?
このような疑問が収まらないため、ブログに「言葉」としてその違和感を残そうと思います。
『君の名は。』のストーリー
千年ぶりとなる彗星の来訪を一か月後に控えた日本。
田舎町に暮らす女子高校生・三葉は憂鬱な毎日を過ごしていた。
ある日、自分が男の子になる夢を見る。
見覚えのない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の街並み。都会での生活を満喫する三葉。
一方、東京で暮らす男子高校生・瀧も奇妙な夢を見た。行ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだ。
繰り返される不思議な夢、明らかに抜け落ちている記憶と時間。二人はお互いが入れ替わっていることに気付く。
何度も入れ替わる事に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める二人。
残されたお互いのメモを通して、状況を乗り切っていく。
しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。
自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心。
辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた…。
うしらく的「あらすじ」ざっくりまとめ
さて、『君の名は。』のストーリーをざっくりとまとめると、以下のような感じだと思います。
夢を通して体も意識も入れ替わってしまう三葉と瀧。
出会うはずのなかった2人が偶然にも出会い、恋をしてしまった。
しかし、運命から逃れられず2人の仲は引き裂かれそうになった。
でも、お互いが諦めずに「死の未来」から回避し、そこで得た絆のおかげで、現実でようやく再会した。
と、ざっくり過ぎるまとめだけど、大体のあらすじはこんな流れ。
では、このストーリーのどこに違和感を感じたのかをこれからお話していきます。
現代人は、どこかにいるかもしれない「まだ見ぬ誰か」に見つけてほしい?
『君の名は。』の一番の見どころって、要は「見つける」ところだと思うんですよね。
10万人?! #君の名は。 pic.twitter.com/mdCeqRyC1t
— 映画『君の名は。』 (@kiminona_movie) September 3, 2016
瀧が三葉を見つけ、三葉もまた瀧を見つけ。
全く違う時間軸に生きてたはずの2人が「見つけ合う」ところに、世の中の人達は強く心を揺さぶられたはず。
ただ、ぼくとしてはこの「見つける・見つけられる願望」がこう、変だなーと思っていて。
これではまるで、『自分は見つけられてこそ生きてる価値がある』的な考え方というか、生き方というか。
他者ありきなとこが、違和感の1つ目です。
SNSが流行っているのも、「まだ見ぬ誰か」から見つけてほしいから?
2018年現在、世間ではありとあらゆる人々がSNSに夢中になっています。
Twitter、Instagram、YouTube、Facebook、LINE、その他。
どのSNSも、自分が発信し、他者からのレスポンス(反応)を待つという点では同じ仕組みを辿っていますね。
まぁ、上で挙げた願望は大げさかもしれないけど、少なからずこういう考え方をしたことがある人っていませんか?
別に運命の出会いがなかったとしても、いいねや拡散、フォローされることで自分が「特別な存在」になれる的な。そういう夢を見たことはありませんか?
『君の名は。』に見る三葉と瀧の存在・関係性が、ぼくにはこのようなSNS社会の縮図に見えて仕方ないのです。
そして、そういった関係性はとてつもなく脆いはずだし、とても危うく気持ち悪い。
他人の体に入り込むことほど気持ち悪いものはない
『君の名は。』では三葉と瀧がお互いに入れ替わるわけですが、普通に考えて、他人の体に入り込むことってとてつもなく気色悪いことだと思いません?
だって、
- 住む場所
- 土地勘
- 性別
- 着る服
- 金銭感覚
- 友だち
- 家族
他にもいっぱい、何もかもが違うわけです。
例えば、瀧は「生理」の日はどうやって過ごすのか。
三葉は「朝勃ち」をどう感じるのか。
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— 映画『君の名は。』 (@kiminona_movie) August 8, 2016
また、自分たちが入れ替わっていることを周りには悟られてはいけない。
どんなに仲のいい友達にも、信頼してる家族にも「本当のこと」を言ってはいけないし、バレたらアウト。
『本音を言えない自分のまま生きてく』って、とても大変なことで精神的に超プレッシャーがかかるはずです。
少なくとも、ぼくだったら発狂して精神的にダウンしてることでしょう。
精神障害であることをカミングアウト出来ない苦しみに、どことなく似てる気がする。
このように息苦しさを覚えてしまうのは、ぼくだけでしょうか?
唯一「本音」を言い合える特別な関係性に憧れてる人が多いのか?
三葉も瀧も、周りには嘘をつかないといけないけど、当人同士は素直にグチや本音を言い合えます。
まぁ、言い合えるといっても、スマホの日記やLINEの履歴などを通してではあるけども。
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— 映画『君の名は。』 (@kiminona_movie) August 22, 2016
これは裏を返すと、周りに相談できる人が誰一人としていない世界でも、「わたしだけは、おれだけは君の味方だよ」と言い合える仲だということ。
で、現代人はこういった唯一無二の「自分だけを見てくれる存在」に憧れているのかもしてません。無意識的に。
もしそうだとしたら、とても窮屈で息苦しい世の中だと思いませんか?
だって、頼れる人が一人しかいないんですよ?
ぼくだったら、そんな生活耐えられないなー。
それって、他者依存してるってことだから。
一人の人に依存する生き方ってのは精神的に病むし、お互いが共依存に陥って共倒れしてしまいます。
このような三葉と瀧の関係性に、2人の再会に感動した視聴者は、わりとガチで精神を病んでる可能性が高いように思いますね。
うしらく的まとめ
三葉と瀧のあるはずのない出会い。そして2人の仲が引き裂かれそうになりながらも収束し、再会を果たすことへの期待感や憧れ。
いい意味で言うと「ピュア」な感情だけど、悪い意味でいうなら「依存」し尽くしてる心の持ちよう。
もし、この仮説を立てたぼく自身の考え方そのものが「異常」で、世の中の人達の方が「正常」だとするのなら、ぼくは今の世の中からはみ出た存在なのでしょう。
でも、もしぼくと同じように『君の名は。』に違和感を感じた人がいるのなら、ぼくは異常者ではないのかもしれない。
超がつくほど大ヒットした話題の感動作『君の名は。』を、あなたはどのような視点で見ましたか?