うしらく(@ushiraku)です。どもー!
ぼくが躁うつ病(双極性障害)になってから、約5年近く経ちました。
発症当初は「躁」と「うつ」の波がつかめず、毎日が地獄のようでした。
が、今は病状も安定していて、一人暮らしで生活しています。
今回の記事では、ぼくが普段「自分の病状」をどうコントロールしているのか、について書いていきます。
1.躁うつ病(双極性障害)で一番危ないのは「お金を散財」してしまうこと
ぼくが自分の病歴を振り返った中で一番ぞっとしたのは、躁状態でのお金の散財です。
当時、躁うつ病が発症しはじめたとき、ぼくの手元には50万円の貯金がありました。
この貯金は、ぼくが正社員として働いていた頃に貯めたお金。
毎日の生活をケチってケチって、コツコツと貯金した50万円だったのですが。
ぼくは躁転したときに、この50万円を一気に使ってしまったのです。
散財先はほぼネットショッピングで、「クレジットカード払い」にしていた
50万円を散財したのは、ほとんどがAmazonでの買い物でした。
しかも、支払い方法を「クレジットカード」にしていたので、自分がお金を使っている感覚がまるで無かったです。
で、気がついたら口座に入れていた50万円が底をつき、この散財っぷりに自己嫌悪に陥りました。
クレジットカードにハサミを入れ、「デビットカード」に切り替えた
ぼくは同じ過ちを繰り返さないため、クレジットカードにハサミを入れ処分しました。
で、代わりに「デビットカード」を作りました。
デビットカードは、「チャージ式の電子マネー」みたいなもの
デビットカードは、口座に入金してあるお金だけで決済するカードです。
また、一括払いしか出来ないので、ローンを組む危険性も回避できます。
このデビットカードに切り替えて以降、ぼくは散財することがなくなりました。
使ったお金を記録するため「家計簿」をつけはじめた
散財したときの失敗点は、「自分が何にどれくらいのお金を使ったのか?」を可視化していなかったことです。
これが出来てなかったから、口座の50万円が溶けるまで気づけませんでした。
じゃあ逆に、「使ったお金」と「今あるお金」を見える化しておけば、同じ失敗はしないんじゃねと思うようになりました。
2.躁うつ病(双極性障害)の治療は、焦らずゆっくり「寛解(かんかい)」を目指そう
躁うつ病になった当初のぼくは、とにかく焦って「治そう」と頑張っていました。
- 精神疾患に関する本をたくさん読み
- テレビで紹介された「うつ予防」を試し
- セロトニンを増やそうと頑張った
という感じで、ひたすら目につく「治療法」を試しまくってたんです。
でも、ある日ふと気づいたことがあって。
躁うつ病(双極性障害)は完治ではなく、寛解(かんかい)を目指すのがベター
さて、この「寛解(かんかい)」という見慣れない言葉は何なのか。
ググってみました。
寛解(かんかい)とは
全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること。
この、寛解に持っていくには、
- 毎月の定期受診
- 毎日の服薬
が大切になってきます。
定期受診と服薬を続け、ぼくは一人暮らしで生活してます
ぼくは躁うつ病になって5年近く経つけど、この定期受診も服薬もちゃんと続けています。
なので、大きく病状が悪化したことはないし、気分の波も落ち着いていますよ。
3.躁うつ病(双極性障害)でも、ちゃんと社会で働ける!
ぼくが躁うつ病になってから再び社会復帰するまで、約3年間かかりました。
この3年間、ぼくは何をしていたのか?
ざっくりとですが、お教えしますね。
1年目・社会復帰を焦らず、じっくり休養をとった
まず、躁うつ病になってからの1年間は、マジで何も手に付かない状態でした。
- 布団から出れない
- 活字が読めない
- バスや電車に乗れない
など、これまで「当たり前」にやってたことのほとんどが、できなくなったんです。
なので、逆に開き直って、とことんまでダラダラすることにしました。
この頃、ぼくは「アニオタ」と化した
毎週のようにTSUTAYAに行き、アニメDVDを10~20本レンタル。
それとは別に、リアルタイムで地上波放映されているアニメを視聴。
もちろん、定期受診と服薬はちゃんとしてましたよ!
2年目・職業訓練校に通ってスキルアップをした
少しずつ外出が苦ではなくなった頃、ぼくは職業訓練校に通うことにしました。
まぁ、いきなり働くよりも「小さなハードル」からクリアしていこうと考えたんですね。
職業訓練校には平日毎日通い、ワードやエクセルの技術を学びました。
3年目・大好きな書店で「パートタイム雇用」で働いた
職業訓練校を卒業してから、いよいよ社会復帰することに。
ぼくが働く場所として選んだのは、当時よく通っていた書店でした。
読書好きなぼくは、たったこれだけの理由で職場を選んだんです。
結果的に運良く採用され「障害者手帳オープン」で、働くことになりました。
うしらく的まとめ
ぼくが今振り返ってみて思うのは、「小さなハードル」を少しずつクリアしていったから、無理なく社会復帰できたんだなということ。
躁うつ病を発症した当初は、
と毎日を嘆いてたけど、焦らずゆっくり休養して良かったと思っています。
今病気で苦しんでいるあなたにも、周りにはたくさんの人がいます。
- 主治医
- ソーシャルワーカー
- 友人、知人
- 家族、恋人
ぼくも、こういった頼れる人たちにこまめに相談してきたからこそ、今こうして社会復帰が出来ています。
なので、一人で抱え込まず、不安なことは周りの人達に相談してみてください。
最初は勇気がいるかもだけど、きっと力になってくれますよ。