地獄からの復活!躁うつ病(双極性障害)でも社会復帰できた3つの習慣【実体験】

うしらく(@ushiraku)です。どもー!

ぼくが躁うつ病(双極性障害)になってから、約5年近く経ちました。

発症当初は「躁」と「うつ」の波がつかめず、毎日が地獄のようでした。

が、今は病状も安定していて、一人暮らしで生活しています。

うしらく
一人暮らしを始めて、4年くらい経つよ!

今回の記事では、ぼくが普段「自分の病状」をどうコントロールしているのか、について書いていきます。

うしらく
躁うつ病で悩んでいるあなたにとって、何かお役立てできたらなと思ってるよ!

1.躁うつ病(双極性障害)で一番危ないのは「お金を散財」してしまうこと

ぼくが自分の病歴を振り返った中で一番ぞっとしたのは、躁状態でのお金の散財です。

当時、躁うつ病が発症しはじめたとき、ぼくの手元には50万円の貯金がありました。

この貯金は、ぼくが正社員として働いていた頃に貯めたお金。

毎日の生活をケチってケチって、コツコツと貯金した50万円だったのですが。

ぼくは躁転したときに、この50万円を一気に使ってしまったのです。

散財先はほぼネットショッピングで、「クレジットカード払い」にしていた

50万円を散財したのは、ほとんどがAmazonでの買い物でした。

しかも、支払い方法を「クレジットカード」にしていたので、自分がお金を使っている感覚がまるで無かったです。

うしらく
ポチってもポチっても、まだまだ買えるぞー!

で、気がついたら口座に入れていた50万円が底をつき、この散財っぷりに自己嫌悪に陥りました。

クレジットカードにハサミを入れ、「デビットカード」に切り替えた

ぼくは同じ過ちを繰り返さないため、クレジットカードにハサミを入れ処分しました。

うしらく
クレカは、ドラえもんの「四次元ポケット」なみに便利すぎるのが危険なんや。

で、代わりに「デビットカード」を作りました。

デビットカードは、「チャージ式の電子マネー」みたいなもの

デビットカードは、口座に入金してあるお金だけで決済するカードです。

また、一括払いしか出来ないので、ローンを組む危険性も回避できます。

うしらく
簡単にいうと、チャージ式の「電子マネーと同じ感覚」で使えるカードだね。

このデビットカードに切り替えて以降、ぼくは散財することがなくなりました。

使ったお金を記録するため「家計簿」をつけはじめた

散財したときの失敗点は、「自分が何にどれくらいのお金を使ったのか?」を可視化していなかったことです。

これが出来てなかったから、口座の50万円が溶けるまで気づけませんでした。

じゃあ逆に、「使ったお金」と「今あるお金」を見える化しておけば、同じ失敗はしないんじゃねと思うようになりました。

うしらく
家計簿をつけはじめてからは、お金を使いすぎることがなくなったよ!

2.躁うつ病(双極性障害)の治療は、焦らずゆっくり「寛解(かんかい)」を目指そう

躁うつ病になった当初のぼくは、とにかく焦って「治そう」と頑張っていました。

  1. 精神疾患に関する本をたくさん読み
  2. テレビで紹介された「うつ予防」を試し
  3. セロトニンを増やそうと頑張った

という感じで、ひたすら目につく「治療法」を試しまくってたんです。

でも、ある日ふと気づいたことがあって。

うしらく
あ、躁うつ病の治療って「寛解(かんかい)」を目指すもんなんや。

躁うつ病(双極性障害)は完治ではなく、寛解(かんかい)を目指すのがベター

さて、この「寛解(かんかい)」という見慣れない言葉は何なのか。

ググってみました。

寛解(かんかい)とは

全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること。

うしらく
簡単にいうと、「症状を落ち着けるための治療をしよう」ってことだね!

この、寛解に持っていくには、

  • 毎月の定期受診
  • 毎日の服薬

が大切になってきます。

定期受診と服薬を続け、ぼくは一人暮らしで生活してます

ぼくは躁うつ病になって5年近く経つけど、この定期受診も服薬もちゃんと続けています。

なので、大きく病状が悪化したことはないし、気分の波も落ち着いていますよ

うしらく
ちなみに、ぼくは4年前から一人暮らしをしてるよ!

3.躁うつ病(双極性障害)でも、ちゃんと社会で働ける!

ぼくが躁うつ病になってから再び社会復帰するまで、約3年間かかりました

この3年間、ぼくは何をしていたのか?

ざっくりとですが、お教えしますね。

1年目・社会復帰を焦らず、じっくり休養をとった

まず、躁うつ病になってからの1年間は、マジで何も手に付かない状態でした。

  • 布団から出れない
  • 活字が読めない
  • バスや電車に乗れない

など、これまで「当たり前」にやってたことのほとんどが、できなくなったんです。

なので、逆に開き直って、とことんまでダラダラすることにしました

この頃、ぼくは「アニオタ」と化した

毎週のようにTSUTAYAに行き、アニメDVDを10~20本レンタル。

それとは別に、リアルタイムで地上波放映されているアニメを視聴。

うしらく
この期間は、ホントにアニメ鑑賞以外は何もやってなかったかなー。

もちろん、定期受診と服薬はちゃんとしてましたよ!

2年目・職業訓練校に通ってスキルアップをした

少しずつ外出が苦ではなくなった頃、ぼくは職業訓練校に通うことにしました。

まぁ、いきなり働くよりも「小さなハードル」からクリアしていこうと考えたんですね。

職業訓練校には平日毎日通い、ワードやエクセルの技術を学びました。

3年目・大好きな書店で「パートタイム雇用」で働いた

職業訓練校を卒業してから、いよいよ社会復帰することに。

ぼくが働く場所として選んだのは、当時よく通っていた書店でした。

自分の好きなことを仕事にしたい

読書好きなぼくは、たったこれだけの理由で職場を選んだんです。

結果的に運良く採用され「障害者手帳オープン」で、働くことになりました。

うしらく
パートタイム給与と障害年金を足すと、一人暮らしなら生活してけるよー。

うしらく的まとめ

ぼくが今振り返ってみて思うのは、「小さなハードル」を少しずつクリアしていったから、無理なく社会復帰できたんだなということ。

躁うつ病を発症した当初は、

うしらく
自分はもう社会復帰なんてできないんだ……。

と毎日を嘆いてたけど、焦らずゆっくり休養して良かったと思っています。

今病気で苦しんでいるあなたにも、周りにはたくさんの人がいます。

  • 主治医
  • ソーシャルワーカー
  • 友人、知人
  • 家族、恋人

ぼくも、こういった頼れる人たちにこまめに相談してきたからこそ、今こうして社会復帰が出来ています。

なので、一人で抱え込まず、不安なことは周りの人達に相談してみてください

最初は勇気がいるかもだけど、きっと力になってくれますよ。

ABOUTこの記事をかいた人

「うつ予防」の悩み相談屋。25歳で躁うつを発症し、自殺未遂→日本のうつ・自殺問題について海外テレビから取材→リハビリ生活を経て社会復帰→年間100件以上の人生相談にのりながら、「うつにならない社会」を作るために情報発信をしています。